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たというようなことをいろいろいわれたわけですけれども、これはそういう活動が余りにも行政中心であったがためだと思うんです。文化というものに対して行政がどこまでかかわるかというのは、なかなか議論のあるところだと思いますね。基本は、そこに住んでいる住民が自発的にやっていくべきこと、それがやっぱり基本ではないだろうか。したがって、行政のやることというのはおのずから決まってくる。
先ほどから発表の場をもつ必要があるという話が出ておりますけれども、これは、いってみれば晴れの場をつくるということなんですね。そういう場をつくるということは、確かに行政の大きな役割の一つでしょうし、間接的に教育のカリキュラムで後継者を育成するような仕組みをつくるとかそういうことであって、補助金とかそういう経済的な支援を行政がどこまでやったらいいのか、これはなかなか議論のあるところだと思います。日本の場合には、行政に頼り過ぎるような嫌いがあるんではないか。それはヨーロッパとか海外での文化・芸能の保存と比較して非常に違うところなんですね。そんなことを感じております。
中坪委員 調査している中で民俗芸能に関していうならば、民俗芸能というのは昔からある宗教的色彩の非常に強いものとずっと結びついている。お神楽なんてまさにそうですね。そうすると、担当者の中には、民俗芸能というのは、ここのものは非常に宗教的なかかわり合いがあるから行政がそういうことはやらないんだというような……。
鈴木委員長 それはどこでもいいます。
中坪委員 そういうことをいうわけです。確かに民俗芸能というのはお祭り、宗教行事、その中でやってきたものだけれども、最近はお祭の中から芸能というものが取り出されて、それだけが一つの民俗芸能になってしまっているところがありますね。ただ、こういうものは非常に消滅しやすくて破壊されやすい性格をもっているので、祖先のものという形で非常に公益性が強いものだと思うんです。本当に違うんですよ。民間で氏子たちみんなでやるものなんだけれども、今の時代は、民俗芸能はイコール非常に公共性の強いもの。それで、絶対に後世に伝えなければいけないものだと思っています。そうなると、今や民間の力ではできないんですね。そうすると、やっぱり行政がある程度そこをきちんとしたものを財政援助なり、あらゆる場所を設けるなりしていきませんと、これから日本はどうなってしまうのかというような恐れを感じました。私、非常に気になっているのは、宗教的なものとすぐ結びつけてしまう。オウムではないんですけどね。
鈴木委員長 それはあります。
中坪委員 それが担当者としては怖いわけ。
もう一つ、行政の人は、地域のもの、地元のものをやるとしたら、その人はそこに生まれ育った人。これは、長島町という町の文化ホールのことなんですけれども、ここは非常
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